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第九十回-「“势如破竹”-三国が一つに」

西暦263年、蜀が魏に滅ぼされ、265年には魏が晋に滅ぼされ、残る国は呉ただ一国になりました。
ちょうどその頃、呉では孫権の三男、孫晧(そんこう)が第四代皇帝となっていました。孫晧は皇帝になる前は優秀な人物と期待されていましたが、皇帝に即位すると豹変し暴君となります。その残虐さは曹操をも凌ぎ、三国志の登場人物の中で一番残酷な人物として最悪の評価を受けています。そんな呉でしたが、孫権以来の重臣、陸遜やその子、陸抗(りくこう)が衰退する呉を何とか支えていました。ところがその陸抗が亡くなると、呉にはもはや頼れる人物はいなくなりました。
晋はこのチャンスを見逃さず、20万という大軍を率いて呉に侵攻します。呉の武将は次々と降参し、晋の大群は呉の首都、建業(南京)に迫ります。
この時の晋軍のエピソードから取られた成語があります。日本でも良く使われている言葉なのでぜひ由来も覚えましょう!

成語:势如破竹
意味:向かうところ敵なし。破竹の勢い。
由来:晋の将軍・杜預(どよ)が呉を滅ぼそうとした時、(夏が近づいていたので)晋の重臣たちの中には、秋になってから攻めたらどうかといったが、それに対して杜預は「いま我が軍の威勢は大いに振るい、例えるならば竹を裂くかのような勢いがある。我が軍の侵攻を受けたなら、呉軍はすぐに潰えてしまうことだろう」といったことから。

こうしてついに西暦280年、呉は晋に滅ぼされ、ついに約100年間続いた三国時代は幕を下ろしたのでした。
一年にわたって三国志ブログをご愛読いただいてありがとうございました。今回三国志ブログを書いて、改めて三国志の奥深さと、三国志と中国語の関係を知ることができ筆者も大変勉強になりました。
皆さんには、少し難しいところや、わかりづらいところがあったかもしれませんが、最後までお付き合いいただき本当にありがとうございました。
これを機に三国志を好きになっていただき、ひいては中国語の上達にもつながることを願っております。
好きこそ物の上手なれ、という言葉もあるとおり、言葉の学習は、まずその国の文化を学び歴史を学びその国とその国の人を好きになることだと思います。今回の三国志ブログが皆さんの一助となれば大変うれしく思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。


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