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2009年01月 アーカイブ

2009年01月06日

第七十七回-「みんな感動!出師の表」

司馬懿を隠居させることに成功した諸葛亮は、今は亡き劉備の遺志を受け継ぎ、魏への攻撃を開始します。
出陣に当たって、出師(すいし)の表という上奏文を皇帝の劉禅に献上します。
この出師の表は大変な名文なので“出師の表を読んで泣かざるは人にあらず”と言われているようです。
原文をご紹介しましょう。といっても長いので部分部分をご紹介します。

臣亮言。五年 率諸軍北駐漢中臨発 上疏曰、先帝創業未半而中道崩祖
今天下三分 益州疲弊。此誠危急存亡之秋也
先帝(劉備)におかれては、天下統一の大事業の半ばでおかくれになりました。
今、天下は漢(蜀)・魏・呉の三国に分裂する中で、わが益州の国力は衰えはて、存続できるかどうかの瀬戸際にあると申せます。

臣本布衣 躬耕於南陽
苟全性命於乱世 不求聞達於諸侯
先帝不以臣卑鄙 猥自枉屈 三顧臣草盧之中 諮臣以当世之事
由是感激 遂許先帝以駆馳
わたくしは、もともと一介の平民で、南陽で畑仕事をしていた者です。
この乱世に生を受け、一生を無事で過ごすことができれば何よりと思い、諸侯の間で名を知られるようになろうなどとは考えてもおりませんでした。
しかるに先帝におかれては、私ごとき者のために、わざわざ三度までも茅屋をお訪ねくださり、天下の形勢に ついてご下問くださいました。
わたくしはこれに感激し、先帝にお仕えすることを誓ったのです。

陛下亦宜自謀 以諮諏善道 察納雅言 深追先帝遺詔
臣不勝受恩感激 今当遠離 臨表涕泣 不知所云
わたくしはご厚恩をこうむり、感謝にたえないものであります。
いま、出陣にあたり、この上奏文を前にして涙が流れ、申し上げる言葉を知りません。

とまあ、このように劉備への感謝の気持ちをつづった上奏分を提出して、いざ出陣したのでした。
次回「孔明の大失敗-泣いて馬謖を斬る」と題してお送りします。

2009年01月09日

第七十八回-「孔明の大失敗-泣いて馬謖を斬る」

気合十分で出陣した孔明は、さっそく魏の諸都市をいくつも攻め取り、一路長安(現在の西安)を目指します。
連戦連敗の魏軍は、これはとてもかなわない、と本国に援軍を要請します。皇帝の曹叡は、一族の曹真を総大将として新たに派遣します。
ところがその曹真軍も孔明の策略の前に連戦連敗し、またしても魏軍は窮地に立たされます。知らせを受けた曹叡は、誰か国を救う英雄はいないか?と探します。
そこで重臣の一人が、ある人物を推薦します。推薦された人物は、諸葛亮の謀略で隠居させられた司馬懿仲達でした。
司馬懿は早速、蜀軍を迎え撃ちに出陣します。
司馬懿が出陣したと聞いた孔明は、大いに落胆しますが、そうも言ってられず、これ防ぐ作戦を考えます。
諸葛亮は、街亭(がいてい:現在の甘粛省安定)、という場所の守りを最重要視しました。この街亭という場所さえ押さえれば、有利に戦局を進めることができるが、逆にこの街亭を魏に占拠されてしまうと、退却するしかないという、要の場所でした。
孔明は、日ごろから可愛がっていた馬謖(ばしょく)という有能な部下を選び、街亭の守りを任せます。
この時孔明は、作戦の指示を細かく教えて、馬謖を派遣します。
街亭という場所は、小高い丘があるだけの場所で、馬謖はそれほど重視していませんでした。その任務を甘く見て自分の力で魏軍を追い返せると、自信満々で臨みました。
孔明は馬謖に、丘に登らず、丘の下で待機するようにという指示をしたのに、馬謖は丘の上に陣地をとったほうが有利だと考え丘の上に登ってしまいます。これが最大の過ちでした。
丘のふもとを囲まれた馬謖軍は、司馬懿に水の供給源を止められてしまいます。
水が飲めなくなった馬謖軍は、あっという間にボロ負けしてしまいます。
馬謖軍が敗れた蜀軍は、全軍撤退せざるを得なくなり、蜀軍は大敗します。
諸葛亮は、命令を無視して大敗を喫した馬謖を死刑に処します。諸葛亮は自分の片腕とも言える馬謖を、軍の規律を守るため泣く泣く死刑にしたのでした。

成語:泣斩马谡

由来:規則や、法を守ることは大切であるから、どんなに心情的に忍びないことであっても、あえてそれを曲げない。
意味:街亭の守りに失敗した馬謖。孔明は私情を抑え馬謖を処刑した。処刑後、孔明は慟哭した。孔明は、馬謖を処刑したあとで、その家族をなぐさめ、また本当の不徳は人選ミスをした私のせいだとして、丞相から右将軍に自分を降格して、全軍に詫びた。

さて、次回は「ハッタリ上手-琴を弾く孔明」と題してお送りします。

2009年01月12日

第七十九回-「ハッタリ上手-琴を弾く孔明」

魏軍に大敗を喫した蜀軍は、撤退を開始します。孔明は食料や文官を退避させるために、西城という都市に行き撤退の準備に取り掛かります。
ところがここで大事件が発生します。司馬懿率いる魏軍の本体が、この西城に攻めてきたのです。その数はなんと15万、対する孔明はわずか二千の兵でした。さすがの孔明もこれでは勝てません。かといって急いで逃げても追いつかれてしまいます。
孔明は城の門を開け放ち、ひとり楼閣に登り、そこで香を焚き琴を弾き始めます。城の様子が怪しげなのを見た魏軍の先鋒は、その様子を司馬懿に伝えます。
司馬懿が顔を上げると、静かな面持ちで琴を弾く孔明の姿が目に映ります。城の門を開け放ち、魏の攻撃を誘っているように見えます。魏の武将のほとんどは、城攻めを主張しますが、司馬懿は首を縦に振りません。
“城の門を開け放ち、余裕を持って琴を弾いているあの姿は、我々を怒らせて城に誘い込もうとする孔明の策略だ。相手はあの諸葛亮。撤退が一番だ”
こうして孔明の計略だと恐れて全軍を引き上げさせます。
孔明は機転の利いた芝居によって、何とか難を逃れます。
あとで、城にはほとんどいなかったということを知った司馬懿はこういったと伝えられています。
“我、孔明に勝てり。しかし孔明に及ばずであった。”
この出来事は実は創作で、実際には起きなかったと言われているのですが、三国志の中でも指折りの名場面で、多くの成語が生まれています。

(歇后语))
诸葛亮唱空城计→急办法)
諸葛亮の空城の計→急ぎの方法


诸葛亮大摆空城计→化险为夷)
諸葛亮の空城の計→危険を無事に乗り越える


诸葛亮焚香弹琴→故弄玄虚)
諸葛孔明が香をたき、琴を弾く→わざと不可解なものにする


诸葛亮弹琴→计上心来/临危不乱)
諸葛亮が琴を弾く→名案が浮かぶ/危機の臨んでも慌てない


诸葛亮用空城计→不得已)
諸葛亮の空城の計→仕方なし

さて、次回は「今さら「三国」志?」と題してお送りします。


2009年01月15日

第八十回-「今さら「三国」志?」

蜀と魏が、戦いを重ねている間に、力を蓄えていたのは呉でした。ついに西暦229年、呉の孫権は自らを皇帝と名乗り、呉帝国を建国しました。それまでも一つの国だったのですが、皇帝を名乗ることによって名実共に一つの帝国となったのでした。
ということで西暦229年に、やっと三つの帝国がそろった、ということになります。歴史的には後漢王朝が滅亡した西暦220年から、三国時代が始まったことになっていますが、呉は三国の中でも最も建国が遅かった国でした。
蜀は呉帝国に対してお祝いの使者を送り、この機に魏に攻め込むように要請します。こうして魏は東南の呉、西南の蜀から挟み撃ちに遭うことになります。
しかし、三国一の強国だった魏にとっては挟み撃ちもあまり苦にならなかったようです。東は呉を防ぎ、西は蜀を防ぎ、鉄壁な守りを誇っていました。しかしなんといっても魏が敗れなかった原因は、呉が本気を出さなかったということでした。
孔明率いる蜀軍は、何が何でも魏に攻め込みたいという気持ちでしたが、呉の孫権はそこまでの気持ちはなく、蜀と条約を結んでいるために、しかたなく出兵しているという状態でした。むしろ呉の考えとしては、魏と蜀が戦いをして国力を消耗している間に、自分の国の力を蓄えて、国を富ませていこう、というものでした。
その甲斐もあってか、呉は三国の中でも最も長く存在し三国の次の帝国、晋に滅ぼされる280年まで帝国として存在しました。
さて、次回は「みんな感動!後・出師の表」と題して、引き続き蜀の孔明と魏の司馬懿の戦いについてお話します。

2009年01月20日

第八十一回-「みんな感動!後・出師の表」

先にご紹介したように孔明の、打倒・魏!の目標は、馬謖の大失敗によって達成できずにいました。蜀に帰った孔明は、国の力を蓄えるために、三年間、国を富ませることに努めます。孔明の手腕によって三年の間に、蜀の国力は回復します。
それで孔明は、再度“出師の表”を皇帝劉禅に奏上し再び魏に向けて出発します。
今日はその“後・出師の表”の内容をご紹介します。

先帝慮漢賊不両立 王業不偏安 故託臣以討賊也
以先帝之明 量臣之才 故知臣伐賊才弱敵彊也
然不伐賊 王業亦亡
惟坐而待亡 孰与伐之
是故託臣而弗疑也
先帝におかれては、漢皇室と賊(魏)とが両立することはできず、天下統一の大事業達成のためには西南にいつまでも安住しているべきではないと考えられ、わたくしに賊徒討伐を委託されました。
英明なる先帝はわたくしの才能をはかられ、わたくしに強大な賊を討つに足る才能の無いことをつとにご承知ではありましたが、賊を討たない限り天下統一の大業も成らず、座して滅亡を待つよりは、賊を討つよりは、賊を討つにしくはないので、ためらうことなくわたくしに賊徒討伐を委任されたのであります。

臣受命之日 寝不安席 食不甘味
思惟北征 宜先入南
故五月渡濾 深入不毛 併日而食
臣非不自惜也
顧王業不可偏全於蜀都 故冒危難以奉先帝之遺意
而議者謂為非計
私は先帝の遺命をお受けして以来、寝食を忘れて北伐の計画を練ってましたが、それにはまず南方を平定すべきであると、5月、濾水を渡って深く熱病・不毛の地に入り、2日の兵糧を2日で食べるという苦労を致しました。
私は決して自らの生命を粗末にするものではありません。
天下統一の大事業の為には、蜀(成都)という奥地に安住しているべきではないと考えたからで、それゆえに危難を冒して先帝のご遺志を遂行しようとしているのにほかなりません。
こうして、孔明は決意も新たに魏の征伐に出陣するのでした。
さて、次回はいよいよ孔明と仲達が直接対決をします。「孔明と仲達の直接対決!」と題してお送りします。

2009年01月24日

第八十二回-「孔明と仲達の直接対決!」

お互いにその実力を認め合う孔明と仲達が直接対決するのは今回が初めてです。仲達は孔明のウラを掻こうと必死に作戦を練りますが、そのたびに孔明にウラのウラを掻かれて作戦は失敗に終わります。
ある時、仲達と孔明は、二人で陣頭に立ち、どちらが軍の指揮を執るのにふさわしいか競います。仲達は「陣立て競争で戦おう」と持ちかけます。
“陣立て競争”とは、対象の掛け声一つで軍隊にある陣形をとらせたり、別の陣形に変えさせたりして、その速さと美しさを競うものです。
孔明が指揮を執り、奇妙な陣地を作り上げます。
“この陣地の名前を知っているか?”と孔明は仲達に問いかけます。
“それは八卦(はっけ)の陣だ!”と仲達は答えます。
八卦の陣とは、陣地に八つの門があるもので、八つの門の名前は、休、生、傷、杜、景、死、驚、開、といって、休、生、開、の三つの門から入れば、陣地を乱すことができるが、それ以外の五つの門から入ると、二度と出てこれない、という陣地でした。
どの門が、休、生、開、の三つの門なのかは、陣地を組んだ大将にしかわからないので、敵方がこれを破るには相当の観察力が求められるというわけです。
仲達は自信満々に、三つのもんを指し示し、あの三つの門から突撃すれば、蜀軍は壊乱するに違いないと、部下に軍を預けて突撃させます。
ところが、孔明の手にある羽扇が揺れるたびに、蜀軍の陣地は不思議な変化が起きて、突撃した魏軍は周りを囲まれてしまい、降参するしかないような状態になってしまったのでした。
孔明は捕虜を快く解き放ち、仲達にこう伝えさせます。
“このような中途半端な戦いしか知らないようでは、到底蜀軍には勝てないぞ!”
この言葉を聞いた仲達は、烈火のごとく怒り、全軍を出撃させますが、事前に孔明の指示を受けていた蜀軍の別働隊は、背後から魏軍に襲いかかり、仲達は命からがら逃げ帰るはめになったのです。
それでは今回の仲達の負け方を表す成語を一つ・・・

成語:一败涂地)
意味:再び立ち上がれない程ひどく負ける。

さて、次回は「孔明の時限爆弾」と題してお送りします。

2009年01月26日

第八十三回-「孔明の時限爆弾」

戦えばいつも仲達に勝つ孔明でしたが、仲達率いる魏軍にとどめを刺すことはできないでいました。大将の仲達さえいなくなれば、たとえ魏が大国でも必ず勝てる、と孔明は考えていました。
そこで孔明は時限爆弾作戦を考えます。
といってもパソコンも何も無い時代にホンモノの時限爆弾を作れるわけはありませんが、部下を集めて、山に囲まれた盆地に、なにやら大掛かりな施設を作ります。実はこの施設は大きな爆弾工場で、至る所に爆発の原因となる、硫黄や煙硝を隠し、導線などを張り巡らした大きな爆弾装置でした。
この中に司馬懿と魏軍を誘い出し、一気に爆発させてしまおう、という作戦です。
まず、孔明は部下に魏軍に戦いを挑み、わざと負けて逃げてくるように、と命令します。
蜀軍があまりに簡単に負けるので、司馬懿もはじめはなにかウラがあるのではないかと疑っていましたが、戦っては必ず勝つので、次第に、ウラがあるのも忘れ、蜀軍が弱くなったのだ、と思い込み、ついに全軍を率いて出撃します。
この動きを見ていた孔明は、かねてからの作戦通り、部下に命じて、爆弾装置のある盆地へ司馬懿を誘導します。
そうとは知らない、司馬懿と魏軍は、爆弾装置のある盆地にすっかり誘い込まれてしまいます。
魏軍が全員盆地に入ったのを見届けた孔明は、起爆装置を作動させ、盆地を火の海にします。
あっという間に、盆地は火の海となり、魏軍の大半は焼け死んでしまいます。
司馬懿も焼き殺されるところでしたが、にわかに大雨が降ってきて、あたり一面火が全て消えてしまいます。
なんとか命を保った司馬懿ですが、この戦いで魏軍が失った損害は、物的にも精神的にも、開戦依頼最大のものでした。
しかし、この戦果を見ても、なお蜀軍のうちにはただ一人、やり切れぬ思いをしていた人がいました。ほかならぬ孔明です。
司馬懿を捕捉して、今日こそは、と必殺の思いで考え出した時限爆弾も、突然の大雨で一瞬にして水泡に帰してしまったのです。

谋事在人,成事在天”
“事を謀るは人にあり、事を成すは天にあり”

孔明はこうつぶやいたと言われています。
さて、次回は「プレゼントはワンピース」と題してお送りします。

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