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2008年11月 アーカイブ

2008年11月07日

第六十六回-「兄を泣かせた天才詩人」

曹操には五人の息子がいました。長男は曹操より前に戦死してしまったので、曹操が亡くなった時には四人になっていました。次男は曹丕(そうひ)、三男は曹彰(そうしょう)、四男は曹植(そうしょく)、五男は曹熊(そうゆう)です。
曹操は亡くなる前、跡継ぎを次男の曹丕に決めていました。後を継いだ曹丕はさっそく兄弟を呼び寄せ臣下の礼をとらせようとします。
ところが四男の曹植だけはよばれてもなかなか出てきません。弟が言うことを聞かないのに腹を立てた曹丕は、部下の軍隊を派遣し曹植を捕らえて、自分の前に引き出します。
曹植は、兄の威厳に驚き、「これからはちゃんと言うことを聞きます!」と許しを求めます。ところが曹丕の怒りは静まりません。ついには彼らの母親、皇太后(曹操の妻)が、とりなして、曹植の命は助かります。
ところが曹丕の部下は、曹植の才能を恐れて、何とかして曹植を殺そうとします。そこで曹丕にこんな提案をします。
「曹植様は、曹操様が生きていたときから、詩を作るのが大変お上手でした。それで曹植様に詩を作らせて、もし不出来であれば、それを口実に殺してしまいましょう。また上手にできたならば、この戦乱の世に、詩に耽っているとは何事だ!ということで、地方に追いやってしまいましょう。」
曹丕はその案を受け入れ、さっそく曹植を呼び出します。
曹植はビクビクしながら兄の前に引き出されます。曹丕は弟の曹植に向かってこう言います。
「お前は父上が生きていたころから詩が上手だった。しかしわたしは、お前の詩は、誰か優れた詩人が代作していたのではないかと思っている。ここで今、詩を作ってみせてみろ。もしできなかったら、長く父上を欺いた罪をただすぞ。」
こういって、曹丕は壁にかかっている絵画を指さします。二頭の牛の闘いを描いた絵で、それには詩が題としてつけられていました。

“二头闘樯下一牛坠井死”

この題にある漢字を一つも使わないで闘牛の詩を作れ、と命じます。驚いたことに曹植はあっという間に詩を作ってしまいます。
曹丕もそれを見ていた臣下たちも、そのあまりの才能に舌を巻きます。しかし曹丕は更なる難題を突きつけます。
「曹植、立て!そして七歩、歩け。七歩、歩む間に詩を作らなければ、八歩目にお前の首は落ちていると思え!」と辛辣な命令を出します。
ところが、曹植は一歩ずつ歩きながら詩を吟じ始めます。そしてできた詩はこのようなものでした。

原文:煮豆燃豆萁,豆在釜中泣,本自同根生,向煎何太急
書き下し:「豆を煮るに豆殻を燃やす、豆は釜の中に在りて泣く、もとこれ同根より生じるを、相煮ること何ぞはなはだ急なる」
意味:豆を煮るのに、釜の下では豆穀が燃えている。豆は熱い熱いと釜の中で泣いている。もともと豆と豆穀は同じ根から生じた兄弟なのに、なぜ豆穀はこんなに豆を煮つめるのか?

みなさん、意味はお分かりですか?自分が兄にいじめられていることを、豆穀に火をつけて豆を煮ることに例えて、その悲しさを詠ったのです。
あまりの、素晴らしさに、さすがの曹丕も涙を流し、臣下もみな泣きました。こうして曹植は罪を許され、自分の領地に帰っていったのでした。
では、この出来事にちなんだ成語をご紹介しましょう。

成語:煮豆燃萁)
意味:豆を煮るのに豆殻を燃やす・兄弟が害し合う

成語:七步之才)
意味:打てば響くような即興の文才・並外れた文才
成語:八斗才)
意味:文才が非常に優れていること
由来:南宋の詩人、謝霊運の、“天下才有一石,曹子建独占八斗”という言葉からとられた成語。この言葉の意味は、詩の才能が全部で一石(いっこく=十斗)あるならば、そのうち曹子建(曹植のこと)が八斗を独占している、という意味。 もうすこしわかりやすく言いますと、この世の中に詩を作る才能というものがあるならば、そのうち80%は曹植が独占して持っている、それだけ彼の詩は素晴らしい、ということです。

さて、次回は「“刘备报仇”-劉備の大失敗」と題してお送りします。

2008年11月16日

第六十七回-「皇帝になった劉備」

今回は題を変えてお送りします。前回ご紹介したように、魏では曹操が亡くなり、その息子、曹丕が後を継ぎました。
跡を継いだ曹丕は、魏の皇帝に就任します。この知らせを聞いた劉備も、蜀の国を建国し、蜀の皇帝に就任します。この時点で、中国には、魏帝国、蜀帝国、という二つの国が存在していた、ということになります。
さて、皇帝になった劉備は、関羽の仇を討とうと、大軍を召集し、呉へ攻め入ろうとします。孔明と趙雲は共に反対しますが、劉備は彼らの反対を押し切り、大軍を率いて呉に攻め込みます。
さて、劉備は、張飛に命令を下し、先鋒軍として先に出陣するように、と言います。
関羽が亡くなってからというもの、張飛は一日として関羽のことを忘れたことはありませんでした。皇帝劉備から出陣の命令を聞いて、ここぞとばかり気合十分で出陣します。
ところが、この気合の入りすぎが災いします。張飛は部下に出陣の準備のために、支度を整えるように命令します。通常十日ほどかかる仕事を、三日で仕上げるように、という無理難題を、二人の部下につきつけます。
日ごろからすぐに怒る性格だった張飛は、あまり部下からの評判が良くありませんでした。今回も、無理難題を押し付けられた二人は、どうしよう、と途方にくれていました。しかも張飛は二人に対し、もしできなければ、重罪に処す、という脅しまで加えていました。
到底無理な話だ、と考えた二人の部下は、なんと張飛の寝床に侵入し、張飛が寝ているところを襲い殺してしまいます。そして張飛の首を持って呉に逃げ込み降参してしまいます。
こうして、三国一の強さを誇った張飛も、自分の性格が災いし、最後は惨めな死に方となってしまいました。
関羽、張飛という弟を失った劉備の悲しみはひととおりでなく、劉備は決死の覚悟で呉へ攻め入ります。
戦いの結末については次回「“刘备报仇”-劉備の大失敗」と題してお送りします。

2008年11月20日

第六十八回-「“刘备报仇”-劉備の大失敗」

関羽、張飛という弟を失った劉備は、悲しみと怒りに任せて呉に侵攻します。関羽と張飛の仇をとるために、蜀軍の勢いはものすごく、次々と呉の領内に侵攻していきます。連戦連勝で呉の首都、建業(南京)に向けて進んで行きます。
蜀軍のあまりの強さに、呉の中では、蜀との和平を求める声が強くなっていきます。ところが、ここで一人の人物が立ち上がります。陸遜(りくそん)という人物です。
この陸遜という人物は、あまり名の知られていない人物でしたが、周瑜や魯粛、呂蒙といった歴代の総大将から、その才能を認められていた逸材でした。しかし、実践の経験が無かったため呉の大将たちからは軽んじられていました。
そんな中で総大将に任命された陸遜は、ただひたすら陣地を守るように、という命令を出したまま、まったく軍を動かそうとはしません。
その間にも、劉備軍は進軍を続け、呉の領地の奥深くまで入り込みます。陸遜は、蜀軍をおびき出して奥深くに入り込んだところで、四方から取り囲んでしまおうという作戦を考えていました。
そうとは知らない蜀軍は、陸遜の狙い通り、まんまとおびき出されてしまいます。孔明のいない蜀軍の中に、陸遜の狙いに気づいた人は一人もいなかったのでした。
陸遜は、頃はよし、とばかりに、劉備軍に総攻撃をかけます。連戦連勝ですっかり油断していた蜀軍は、ものの見事にボロ負けし、劉備は命からがら、永安の白帝城(現在の重慶市奉節県)に逃げ込みます。

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白帝城は三峡下りで見ることができます。
こうして、劉備のかたき討ちは、大失敗に終わります。
ということで今回の成語はこれです。

刘备报仇
意味:小事にこだわり大事を失う
由来:劉備が関羽の敵討ちのため呉に遠征したが大敗した事から

白帝城に逃げ込んだ劉備は、すっかり意気消沈し、病気になってしまいます。いよいよ劉備も寿命が近づいてきました。
次回「聞いてびっくり!劉備の遺言」と題してお送りします。

2008年11月26日

第六十九回-「聞いてびっくり!劉備の遺言」

かたき討ちが大失敗に終わった劉備はすっかり意気消沈し、病気になってしまいます。いよいよ劉備も寿命が近づいてきました。
死期を悟った劉備は、成都から孔明を呼び寄せます。
まず、孔明と会った劉備は病の床で、孔明に謝ります。
「平凡なわたしが、皇帝になれたのは、ひとえに孔明の助けがあったからなのに、孔明の諌めをきかず、戦をしてこのような大敗を喫してしまった、どうか許してほしい。」
つづいて、孔明に遺言を残します。
「わが子、劉禅(りゅうぜん)は、苦労を知らないで育ってきている。もしかすると皇帝の器ではないかもしれない。しかし、もし皇帝としてふさわしいのであれば、彼を補佐してほしい。また、もし彼が皇帝としてふさわしくないのであれば、孔明、お前が彼に代わって皇帝となって民を治めてほしい。」
なんと、わが子に才能がなければ、お前が代わって皇帝になってくれ!というビックリするような遺言を残したのです。
孔明は、自分へのあまりの信頼にただただ涙を流すのみでした。
こうして遺言を残し終えた劉備は、六十三歳の生涯を閉じました。
昭烈皇帝と諡(おくりな)します。諡(おくりな)とは、亡くなった皇帝など高位の人を偲んで、付ける称号のことです。
その劉備を祀った墓が成都にあります。

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さて、次回は「なぜか人気者-劉備の評価」と題して、劉備にまつわる成語やエピソードをまとめてご紹介したいと思います。

2008年11月28日

第七十回-「なぜか人気者-劉備の評価」

今回は、前回で亡くなった劉備にまつわる成語やエピソードをまとめてご紹介したいと思います。
劉備は、これで本当に主人公?というくらい、ぱっとしないで頼りない人だったのですが、それがかえって、頭は良いが性格が悪い曹操とのギャップを生み、物語を面白くしているようです。
さらに、劉備の頼りなさが、かえって諸葛亮の知恵を引き立たせて、孔明を知恵の限りを尽くして主君を補佐する忠誠無比な人として目立たせているともいえます。
さて、物語の中での劉備のやさしさを表す歇后语を一つご紹介しましょう。

刘备杀人(歇后语)
心慈手软
心優しくてむごいことができない

実際にはけっこう人を殺してるんですけどねぇ・・・
あとは有名な成語を一つ。

髀肉复生
意味:活躍する機会の無い事を自ら嘆く。安逸な生活を送り、為す所の無い様。髀肉の嘆(ひにくのたん)
由来:劉備が劉表の客人となっていたころ、馬に乗って戦場を駆け巡ることが無く、股に肉がついた事を嘆いたことによる。

これは結構有名な成語で、日本でも“髀肉の嘆(ひにくのたん)”って使いますね。
こんな、頼りない劉備でしたが、亡くなる時は、息子の劉禅に、カッコイイ遺言を残しています。
それがこれ。

勿以恶小而为之,勿以善小而不为
悪はほんの少しでもしてはならない。
善はほんの少しでもするべきだ。

なかなかの名言ですね。まったくそのとおりです。
頼りなくても、どこか憎めない男、それが劉備という人物なのでしょう。
さて、次回は、「一度は読もう!小説版三国志」と題して“三国志”が読める、書籍をご紹介します。

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