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2008年08月 アーカイブ

2008年08月01日

第四十二回-「ご利用は計画的に-国を借りた劉備」

赤壁の戦いに勝利した周瑜は、勢いに乗って荊州北部(湖北省)を領地にしようとして曹操軍を追撃します。
曹操軍は、江陵(湖北省荊州市江陵県)、襄陽(湖北省襄樊市襄陽区)の城を占領していましたが、周瑜軍と曹操軍が江陵、襄陽、地図にはありませんが南郡、という三つの城を巡って戦いをしていました。
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劉備軍は夏口(湖北省武漢市)で、戦況を見守っていました。ところが、孔明は曹操軍と周瑜軍が戦っているスキに、三つの城を奪ってしまおうと、作戦を練っていました。
周瑜軍は南郡に猛攻撃を仕掛け、曹操軍は、迎え撃つために城の外で戦います。城の中に残っていたのは、戦いにはめっぽう弱い文官(事務仕事が得意な人)ばかりでした。孔明はこのスキを狙って、趙雲に南郡の城を奇襲させて、奪い取ってしまいます。南郡の留守を任されていた曹操軍の武将は、曹操軍の総大将、夏侯惇の兵符(身分証明書のようなもの)をもっていましたが、それも孔明に奪われてしまいます。
孔明は偽の使者を作って、その身分証明書を見せて、江陵、襄陽の曹操軍を、南郡の城の応援に来るようにという、ウソの命令を出して、全軍を出撃させます。カラッポになった江陵、襄陽に、関羽と張飛がそれぞれ攻め込み、一気に奪い取ってしまいます。
こうして、孔明の策略によって、劉備軍は、敵と戦うことなく、一気に三つの城を手に入れたのでした。
これを知って仰天したのは周瑜でした。周瑜はブチ切れて、孔明のもとに魯粛を派遣し、三つの城を返すようにと要求します。
ところが孔明は切り札を用意していました。赤壁の戦いの前まで話は戻りますが、もともと荊州北部を支配していたのは、劉表という人物でした。その劉表が死んで、曹操軍に負けてしまったのですが、劉表の長男の劉琦が劉備を叔父として慕って、今劉備とともに過ごしていたのです。
孔明は、荊州北部の統治権は劉表の息子である劉琦にある、と言って、今この荊州を劉備が治めているのは、何の問題もない、と言い返します。
劉表の長男の劉琦を切り札にされるとは思っても見なかった魯粛は、何も言い返せなくなってしまいます。
こうして荊州は、劉琦が生きている間は劉備が一時的に借り受けるということで、手を打とうということになりました。劉備は国を借りることに成功したのです。しかし劉備は荊州を返す気はさらさら無く、借りっぱなしにしようとたくらんでいたのでした。
では最後にこの借りっぱなしに由来する成語を一つご紹介しましょう。

刘备借荆州
借りたまま返さない
劉備が荆州を借りたまま呉に返さなかったことから

次回は「三国一の元気ジイちゃん」と題してお送りします。

2008年08月05日

第四十三回-「三国一の元気ジイちゃん」

荊州北部(湖北省)を領地とすることに成功した劉備は、勢いに乗って荊州南部(湖南省)を領地にしようと遠征します。
当時、荊州南部には四つの主要な都市がありました。零陵(湖南省永州市零陵区)、桂陽(湖南省郴州市桂陽県)、武陵(湖南省常徳市武陵区)、長沙(湖南省長沙市)、の四つです。
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関羽を江陵に残して留守を任せ、劉備は諸葛亮と張飛、趙雲と共に出撃します。まずはじめに、零陵を攻め落とします。続いて趙雲に軍を任せ、桂陽を降伏させます。さらに張飛に一軍を預け、武陵を攻略します。
あっさりと三つの都市を攻略した劉備は、残る長沙の攻略のために関羽を呼び寄せます。関羽にも城を攻略させてあげたいと考えたのです。
関羽はわずか五百の兵を率いて長沙を攻略に向かいます。その際に、孔明は関羽を呼んで一言注意します。
「長沙には一人の強い武人がいる。年は六十、髪も髭も真っ白だが、ひとたび戦場に出ると、勇猛果敢に戦う。彼の放つ弓は百発百中、どんなに遠くからでも敵を射通せる。名は黄忠という。戦場に行ったらよく気をつけて戦うように。」
関羽はこの孔明の忠告を軽く聞き流して出て行ってしまいました。
戦場で関羽はさっそく一人の老人を見つけます。これが孔明の言っていた黄忠だな、と関羽は黄忠と戦います。ただのオヤジと思いきや、その力と技はさすがの関羽をもってしても簡単には打ち倒せないほどの強さでした。しかし、黄忠が乗っていた馬の足が折れたため、義に厚い関羽はその日は引き上げます。
次の日、戦いに出た関羽は、遠くに黄忠がいるのを見ます。すると黄忠は関羽に向かって矢を放ちます。矢は関羽の兜の緒をプッツンと射抜きます。
前日に馬の足が折れたのを関羽が見逃したお礼に、ワザと兜の緒を射抜いたのだと気づいた関羽は、驚いてその日も引き上げてしまいます。
一方、関羽に情けをかけた黄忠は、その様子を見ていた城主に処刑されそうになりますが、劉備に降伏しようと考えていた、魏延(ぎえん)という武将の活躍で、黄忠は劉備に降伏し、魏延とともに劉備に仕えることになったのでした。
こうして、劉備は短期間で荊州南部(湖南省)を領地にすることに成功したのでした。
では最後に黄忠が元になっている成語をご紹介しましょう。

黄忠射竹箭
意味:優れた腕前を披露すること
由来:弓に優れた腕前をもつ黄忠を讚えた言葉

黄忠七十不服老
意味:年寄りが無理をしていることへの皮肉・年寄りの冷や水
由来:老いてもまだまだ壮健な黄忠を皮肉りながらも称賛した言葉

老的赛过黄忠
意味:年を取ってもまだまだ元気であること
由来:老いてもまだまだ壮健な黄忠を称賛した言葉

さて、次回は「劉備の結婚-熱々“年の差カップル”」と題してお送りします。

2008年08月08日

第四十四回-「劉備の結婚-熱々“年の差カップル”」

荊州全域(湖北省・湖南省)を領地とすることに成功した劉備は荊州を本拠地として、さらに西へ攻め込もうと力を蓄えます。
面白くないのは呉の周瑜。孔明の口に乗せられて、赤壁の戦いに勝ったものの、勝ってもらえるはずだった領地は、孔明の策略で劉備に奪われ、骨折り損のくたびれ儲けもいいところです。
そこで周瑜はなんとか領地を奪い返そうと、次の作戦を練ります。
呉の君主、孫権には十六、七歳ほどになる妹がいました。一方、劉備は奥さんを病気で亡くしていたため、今は一人身でした。二人の結婚という名目で、劉備は呉に呼び出し、暗殺してしまおう、と周瑜は考えます。
さっそく周瑜は、孫権を通して正式に劉備に縁談を申し入れます。劉備の部下たちは、これはきっと周瑜の謀に違いないと考え、話を断ろうとしますが、一人孔明は賛成します。
それで、劉備一行のお供の責任者に趙雲を任命し、結婚のために呉に向かいます。出発に当たって、孔明は錦の袋を三つ趙雲に渡してこう言います。
「何か困ったことがあったら、この袋を一から順に開けなさい。中に対処法が書かれているから。」
こうして劉備一行は呉へと向かうのでした。
この時の孔明が渡した袋から故事を一つご紹介しましょう。

锦囊妙计
前もって用意された妙策・緊急問題を解決するよい方法
諸葛亮が、たびたび、事前に策を書いて錦の袋に入れ、部下に持たせた事から

呉に着いた趙雲は、まず一つ目の袋を開けます。するとそこにはこうありました。
「喬国老を訪ねなさい」
喬国老とは、第三十四回でご紹介した、呉の美人姉妹の父親で、みんなから敬われている人でした。はじめにそこを訪ねた劉備は、早速結婚の報告をします。喬国老はよろこんでみんなに言いふらしてしまいます。孫権と周瑜は、計略のために偽装結婚なので誰にも話していませんでしたが、喬国老が言いふらしてしまったために、引くに引けなくなり、正式に結婚させるしかないという状況になってしまいました。
こうして孔明の巧みな策略により、劉備と孫権の妹は、無事に結婚することになりました。
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上は、劉備と、孫権の妹、孫尚香が結婚式を挙げたといわれている場所です。
さて、次回は「赔了夫人又折兵-骨折り損のくたびれ儲け」と題してお送りします。

2008年08月15日

第四十五回-「“赔了夫人又折兵”-骨折り損のくたびれ儲け」

周瑜の策略もむなしく、孔明の抜かりない手配によって無事に劉備は孫権の妹、孫尚香と結婚しました。
予想外の進展に頭を抱えていたのは孫権と周瑜でした。周瑜は次なる策を考えます。そこで思いついたのが、劉備を贅沢漬けにして呉から帰らないようにしよう、という作戦でした。
劉備が貧しい農民の出身であることに目をつけた周瑜は、孫権に進言して、劉備と孫尚香のために、宮殿を建て、贅沢の限りを味わってもらい、呉から離れられないようにしよう、というわけです。そうすれば、劉備の部下たちは劉備に対する忠誠心をなくし、分裂してしまうだろう、と考えたのです。
こうして孫権は劉備と妻のために、豪奢な宮殿を建てて、贅沢三昧の日々をすごさせるようにしました。
こまったのは劉備のお供をしていた趙雲です。劉備の贅沢振りに、困り果てどうしようかと思案していました。そこで趙雲は孔明から渡された、二つ目の袋を開けます。すると今のこの状況にぴったりのアドバイスが書かれていました。
趙雲は劉備にこう言います。
「今、孔明殿から連絡があって、曹操が大軍を率いて攻めて来るようです」
もちろん、これは孔明の策略で、曹操が実際に攻めてきたわけではありませんが、劉備は驚いて国に帰ろうとします。すると妻の孫尚香も一緒についてくる、といって趙雲は二人を守りながら孫権に内緒で呉を立ち去ります。
おどろいたのは孫権と周瑜、孫権はブチ切れて、急いで追っ手の兵士を差し向けます。ところが孫権の妹の孫尚香は、女ながら気丈な女性で、日ごろから武将たちに恐れられていました。追っ手の武将たちはことごとく劉備の妻、孫尚香に「臣下の分際で何をするか!」とまくし立てたため、追っ手の武将たちは、劉備を捕らえることができず、逃がしそうになります。
ついに周瑜率いる本隊が到着し、劉備と一行は大ピンチになりますが、ここぞとばかり趙雲は三つ目の袋を開きます。するとそこには避難経路が書かれていました。
そのとおりに逃げると、彼方から、関羽、張飛、黄忠、魏延といった名だたる武将たちが、周瑜の軍隊を囲むようにして、救援に駆けつけてきました。こうして劉備たちはピンチを脱したのでした。
劉備軍の兵士たちは、周瑜に向かってこう叫びます。
“周郎妙计安天下,赔了夫人又折兵”
周郎、つまり周瑜の妙計は天下を安定させた、婦人に付き添って兵を失った
これを聞いた周瑜は、怒りのあまり血を吐き、卒倒してしまいます。
ここから取られた成語はそのままですが・・・

赔了夫人又折兵
意味:計略が失敗してかえって損失を招くこと。骨折り損のくたびれもうけ。
由来:周瑜は劉備を殺すため孫権の妹との結婚の話で劉備をおびき出そうとしたが、その策略を読んだ諸葛亮の計略により、結婚が成立し、その上夫婦で領地に戻られてしまった。劉備を追いかける周瑜に対して、諸葛亮がこの言葉を述べ周瑜を憤激させた。

さて、次回は「早死にしたイケメン周瑜」と題してお送りします。

2008年08月19日

第四十六回-「早死にしたイケメン周瑜」

孔明の策略によって、孫権の妹を劉備に連れ去られてしまった周瑜は、血を吐いて倒れ日に日に容態が悪化していきました。
なんとか劉備から、孫権の妹と、荊州を取り返したい周瑜は、病の床で一生懸命作戦を考え出します。
当時、劉備と孔明は、一時的に国を借りていることになっていましたが、蜀(現在の四川省、貴州省、重慶市)を領地にしたら、荊州を返すと約束していました。
そこで周瑜は、ある作戦を思いつきます。劉備軍に代わって、蜀を攻めてあげるから、その代わり食料や物資を提供してほしい、荊州に軍隊を通らせてほしい、と劉備に申し出ます。蜀を攻めるふりをして、どさくさにまぎれて荊州を攻めて奪い取ってしまおう、という作戦でした。
孔明はすぐにこの作戦を見抜きますが、だまされたふりをして、周瑜を油断させます。初めて孔明の裏をかけたことを喜んだ周瑜は、さっそく荊州を攻めようとします。
ところが、作戦を見破っていた孔明は、攻め込んできた周瑜軍を、袋のねずみにしてしまい、周瑜はボロ負けをしてしまいます。周瑜は怒りのあまり、ますます病状が悪化します。
さらに止めを刺すように、孔明から周瑜に向けて手紙が届きます。そこには、周瑜の作戦を皮肉った孔明の辛辣な言葉が書かれていました。
その手紙を読み終わった周瑜は、怒りのあまり卒倒してそのまま死んでしまいました。こうして、呉軍きってのイケメン周瑜は、その優れた知力を発揮することなく、わずか三十六歳で亡くなりました。
周瑜の死を知った孔明は、周瑜の葬儀のために呉に向かいます。そこで周瑜のために、周りの人が感動するほどの手紙を読み上げます。はじめ呉の人たちは、孔明が周瑜を殺した、といって孔明をうらんでいましたが、孔明の誠実な追悼の言葉を聞いて恨みを忘れて言ったのでした。
ところが、孔明の追悼の言葉は実際には孔明のお芝居だったのではないかと言われています。それでこんな歇后语が生まれたのでしょう。

诸葛亮吊孝(諸葛亮の弔問)
装模作样(もったいぶる、とりすます、~のふりをする)
出典:諸葛孔明が、呉の周瑜を「筆殺(手紙で怒らせて死なせた)」した後、呉国の将軍たちの自分への反感を打ち消すため、自ら周瑜の葬儀会場に乗り込んだことから。

さて、三国志も半分を過ぎました。これからは新しい展開が発展します。そこで、これまでの時代を少しまとめて、次回から二回にわたって、みなさんに理解度チェックをしていただきたいと思います。
次回は「你知道吗?-三国演义的概要编」と題してお送りします。これまでのところを復習しましょう!

2008年08月22日

第四十七回-「你知道吗?-三国演义的概要编」

今回は、これまでの物語の理解度チェックをしていただきたいと思います。三択問題形式にしましたので、チャレンジしてください!

第一問:三国志の出来事が起きた時代は何年ごろでしょう?
① 西暦前200年ごろ
② 西暦200年ごろ
③ 西暦1400年ごろ

第二問:三国時代が始まるきっかけとなった出来事は何でしょう?
① 軍隊の反乱
② 宗教の暴動
③ 皇帝の死去

第三問:三国のうち、領地の大きかった国を左から順番に並べたものはどれでしょう?
① 魏>呉>蜀
② 魏>蜀>呉
③ 蜀>魏>呉

第四問:三国演義の中での、曹操の性格を表している表現はどれでしょう?
① やさしい人
② 内気な人
③ 残酷な人

第五問:三国志の主人公、劉備のもともとの職業は何でしょう?
① 医者
② 靴屋
③ 漁師

第六問:三国時代の中国の政府の役職と関係のあるのは次のうちどれでしょう?
① 暴れん坊将軍
② 銭形平次
③ 水戸黄門

第七問:劉備、関羽、張飛が誓いを交わしたのは、何の木の下でしょうか?
① 栗
② 柿
③ 桃

第八問:三国志で最強といわれている武将は誰でしょう?
① 張飛
② 関羽
③ 呂布

第九問:しばらくの間、戦いに参加していなかった劉備は、体のどこに肉がついたでしょう?
① おなか
② 二の腕
③ 太もも

第十問:諸葛亮を部下に迎えるため、劉備は何回諸葛亮をたずねたでしょう?
① 一回
② 三回
③ 五回

さあ、皆さんは何問わかりましたが?過去のブログを見れば答えがわかりますが、まずは答えを見ないでやってみましょう!
次回答えを発表します。さらに次回は「你知道吗?-刘备和诸葛亮编」と題して理解力テストの続きを行いたいと思います。

2008年08月26日

第四十八回-「你知道吗?-刘备和诸葛亮编」

さて、前回に続きテストをしたいと思います。

第一問:部下の趙雲が敵軍から劉備の赤ちゃんを助け出したとき、劉備がとった行動は?
① 息子を危険な目に合わせた趙雲を怒る
② 妻を自殺させてしまったことで趙雲を怒る
③ 息子を草むらに放り投げる

第二問:呉の将軍、周瑜の特技は?
① 音楽
② 水泳
③ 手品

第三問:呉に仕えていた、諸葛亮の兄の名前は?
① 諸葛均
② 諸葛瑾
③ 諸葛誕

第四問:孔明が周瑜に教えた、曹操と戦わないで曹操を国に帰らせる方法とは?
① 金銀財宝を送る
② 一生服従を誓う
③ 美人姉妹を送る

第五問:孔明が策略によって曹操軍から奪い取ったものは何でしょう?
① 食料
② 弓矢
③ 船

第六問:曹操を欺くために、わざと周瑜に打ちたたかれた武将は誰でしょう?
① 黄蓋
② 魯粛
③ 張昭

第七問:庞统が曹操軍の船酔いを防ぐために薦めた方法は何でしょう?
① 梅干を食べる
② 船を鎖でつなぐ
③ 船を陸に上げる

第八問:曹操軍に勝つために諸葛亮は風を、どの方向の風に変えたでしょう?
① 北風
② 東風
③ 南風

第九問:周瑜の策略で、結婚のために呉に呼び出された劉備のボディーガードをしたのは誰でしょう?
① 諸葛亮
② 関羽
③ 趙雲

第十問:呉の将軍、周瑜は何歳で亡くなったでしょう?
① 28
② 36
③ 44

さあ、皆さんいかがだったでしょうか?答えは次回発表します。
さて、前回の答え発表です。

第一問:②西暦200年ごろ
第二問:②宗教の暴動
第三問:①魏>呉>蜀
第四問:③残酷な人
第五問:②靴屋
第六問:③水戸黄門
第七問:③桃
第八問:③呂布
第九問:③太もも
第十問:②三回

さて、次回から三国志も後半に入ります。次回「もう一人の天才!庞統-展其骥足」と題してお送りします。

2008年08月29日

第四十九回-「もう一人の天才!庞統-展其骥足」

大黒柱の周瑜を亡くした呉の孫権は、周瑜に変わる新たな人材を探すように魯粛に命じます。魯粛はすぐに一人の人物を紹介します。名は庞統(ほうとう)字は士元(しげん)、諸葛亮と並んで天才と称される伏龍鳳雛の一人、鳳雛と呼ばれた庞統でした。
孫権は早速、庞統を連れてくるようにと命じます。大いに期待していた孫権でしたが、実際に庞統に会ってみるとがっかりします。この庞統という男、外見はイケてなかったらしく無精ヒゲを生やし、とても天才とは思えない外見だったのです。いざ話を始めてみても、とても天才とは思えないぶっきらぼうな話し方で、孫権は部屋に引っ込んでしまいます。こうして孫権はせっかくの庞統を部下に迎えなかったのでした。
庞統を孫権に紹介した魯粛は、気を遣って庞統にこう言います。
「呉に仕えないのでしたら、荊州の劉備様に仕えてください」
というわけで庞統は荊州に向かいます。実はこの庞統、孔明の友達だったので孔明の推薦状を持っていたのですが、あえてその推薦状を出さずに劉備と面会します。
すると劉備も、孫権と同じように彼の外見を見て、部下には迎えたものの、地方の町の責任者(村長みたいな立場)に追いやってしまいます。
庞統はそこに任命されると、仕事はそっちのけで毎日酒ばかり飲む日々をすごします。やがてそのうわさは玄徳の元にも届き、玄徳は起こって、張飛を監察官として遣わします。
庞統は驚きもせず、張飛にこう答えます。
「こんな田舎の責任者の仕事は、その気になれば一日で終わる、だから今まで酒を飲んで過ごしてきたのだ」
大変な自信ですね。張飛は怒って、これまでにたまっていた仕事を明日一日で片付けろ!と厳命します。
次の日、庞統は書類の山を片手に、たまっていた仕事と裁判を、張飛の目の前で一日で終えてしまいます。
驚いた張飛は、急いで玄徳の元に帰り、彼はただ者ではない、と報告します。ちょうどその時地方巡察を終えた孔明が帰ってきます。孔明は庞統の様子を聞くと「彼のような優れた人物をそんな地方に追いやってしまったら、毎日酒ばかり飲んで仕事をしないでしょう」と玄徳に言います。
玄徳は、まったくそのとおりであると認めて、あわてて庞統を呼び寄せます。こうして庞統は正式に劉備軍の副軍師として孔明の次に重要な役職に就いたのでした。
そんな庞統に起きた出来事からできた成語をご紹介しましょう。



展其骥足
意味:生まれもった才能を存分に発揮すること
出典:三国志・蜀書・龐統伝
由来:劉備は、新たに家臣となった龐統に小県の令の職を与えたが、仕事が思うように振るわず龐統は免職された。それをきいた呉の将・魯粛は劉備に手紙をよこし「龐統は百里(県)を治めるようなわずかな才能の持ち主ではなく、治中や別駕(州、郡の長官の顧問)などに就いてはじめて駿足を伸ばす(才能を発揮する)ことができるのです」と諭した。

さて、前回のテストの答えを発表します。

第一問:③息子を草むらに放り投げる
第二問:①音楽
第三問:②諸葛瑾
第四問:③美人姉妹を送る
第五問:②弓矢
第六問:①黄蓋
第七問:②船を鎖でつなぐ
第八問:②東風
第九問:③趙雲
第十問:②36

さて、次回は「赤膊上阵-猛将馬超」と題してお送りします。

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