孔明の怪しげな儀式で、東風に変わったことを確認した周瑜は、ここぞとばかり全軍に出撃命令を出します。
まず、前もって偽の降参の手紙を出していた黄蓋が、降伏に見せかけて船を曹操の陣地に近づけます。すっかり油断していた曹操軍は船のある陣地を守っている柵を開いてしまいます。まんまと陣地に入り込んだ黄蓋は、自分の船に火をつけて曹操郡の船に突っ込み、自分たちは小さな船に乗り換えます。さらに、後ろからこっそりついてきた周瑜の戦艦は、至る所で火を放ち、曹操軍の船を焼き払います。
必死に火事を止めようとする曹操軍でしたが、庞統の策略によって船が鉄の鎖で巻きつけられていたため、火の回りが速く曹操軍の戦艦はことごとく焼けてしまいます。
こうして曹操軍百万と孫権・劉備連合軍三万の戦いは、孫権・劉備連合軍の大勝利となりました。
下の写真は、赤壁の戦いのあった場所とされているところです。

ここで一つ歇后语をご紹介しましょう。
曹操下江南→来得凶,败得惨
曹操が江南へ下る→行きは強勢、でもボロ負け
曹操が大敗した赤壁の戦いから生まれた歇後語
下の写真も、赤壁の戦いのあった場所とされているところです。なにせ1800年前の話なので、いろいろと説があるようですが、上の写真とは別のところです。

こうして、赤壁の戦いは孔明の大活躍で、呉軍の大勝利となりました。曹操は命からがら国に帰ろうとしますが、そこでも孔明の指揮する劉備軍に痛めつけられることになります。
その様子については、次回「やさしい孔明ブチ切れ!怒られた関羽」と題してお送りします。
コメント (1)
三国志博士、なんて分かりやすい説明をしてくださるのでしょう・・・本当に感謝です。赤壁の戦いってこんな場所だったのですね・・。初めてみました☆、先生の授業を是非受けたいです!
投稿者: ☆びっくり学習☆ | 2008年07月25日 06:41
日時: 2008年07月25日 06:41