今回は、三国志の主人公的な国“蜀帝国”についてお話したいと思います。なぜ主人公的な国かというと、初代皇帝が三国志の主人公だからです。劉備、字は玄徳、後漢王朝の前の王朝である前漢王朝の末裔といわれています。
物語としての三国志は、簡単に言ってしまうと、皇帝の子孫だった“劉備”が最終的には皇帝になるという話なのです。
しかし、なぜ“蜀”や“劉備”が人気があるかというと、彼の周りに才能豊かな“アイドル”たちがいたからです。まさに“蜀”は“アイドル集団”だったのです。
というのも、前回と前々回にご紹介したように、“魏”といえば“曹操”、“呉”といえば“孫権”というふうに皇帝の名前しか、パッと思い浮かばないと思いますが、“蜀”といえば“劉備”“諸葛亮”“関羽”“張飛”“趙雲”と有名な名前がすぐに出てくるわけです。皆さん中国の友人に質問してみてください。
「三国志で一番好きな人物は誰?」
って。おそらく、よほどの変わり者でなければ(@o@)、“蜀”の誰かを答えるでしょう。それほど人気があるんです。KOTOMIの中国語Q&Aに“趙雲”に関する質問があげられていましたが、のちほど“趙雲”については特集でお話したいと思います、というのも作者は登場人物では“趙雲”が二番目に好きなので・・・
目ざとい読者の方は、「あれ?たしか蜀って一番小さな国じゃなかったけ?」と思われるでしょう。そのとおり!“魏”帝国の回に説明したように、“蜀”は三国の中でも最も小さく弱い国だったのです。再度地図でご確認ください。

この地図を見ると、“蜀漢”と書かれていますが“蜀”のことです。小さいですね~「蜀帝国」の首都は「成都」現在の四川省成都市です。領地は、現在の省で言うと、(四川省、雲南省の北半分、重慶市)です。
“魏”と比べると本当に小さいのがよくわかりますね~あっと言う間に滅ぼされてしまいそうですが、大丈夫!“蜀”には天才的な軍師(戦いの作戦を決めたり、国の政策を決める人)である“諸葛亮”がいるからです。おそらく“諸葛亮”が三国志の中で最も人気のある人物ではないかとおもいます。かくいう作者も諸葛亮が一番好きです。
彼の知力によって、弱小“蜀”帝国が成り立ったといっても過言ではありません。“諸葛亮”を知らない中国人はモグリでしょう。それくらい有名なのです。
それで、三国志の前半の主人公は“劉備”、後半の主人公は“諸葛亮”と覚えてください。当然ながら“劉備”や“諸葛亮”にまつわる故事成語はたくさんあります。また機会を追ってご紹介しますのでお楽しみに。
では、ネタバレになりますが、“蜀”の成り立ち=三国志のあらすじ、を簡単にご紹介しましょう。
くどいようですが、“黄巾の乱”で支配力が弱くなっていた“後漢帝国”、そんな時、この世のありさまを嘆く一人の青年がいました。その名も“劉備”、三国志の物語はそこから始まります。が、いかんせん、金も力もない“劉備”、そんな時、劉備と同じく今の世の中を
「どげんとせんといかん!」
と思っていた二人の男が現れます。“関羽”と“張飛”です。三人はすぐに意気投合し“義兄弟”の約束を交わします。それ以来彼らは三人で行動するようになります。彼らは“黄巾の乱”の討伐のための政府の軍に協力し次第に有名になっていきます。なにしろ“関羽”と“張飛”はメチャメチャ強く、一人で兵士一万人に匹敵する、といわれるほどの豪傑だったのです。
やがて、“劉備”は皇帝に謁見する機会があり、自分が“前漢王朝”の子孫であることを皇帝に告げると、皇帝は家系図を持ってこさせてそれを確かめ、それ以後“劉備”は“劉皇叔”(りゅうこうしゅく:皇帝の叔父さん)と呼ばれるようになります。しかし、彼らは戦いには強いが、大局的な戦略を練るのは苦手、しかも劉備はお人よしだったので、なかなか自分の領土をもてません。せいぜい県令(今でいうと、市長)どまり。やがてライバルだった“曹操”は着実に勢力を伸ばし天下統一目前に迫るほどになります。しかも位は後漢帝国の丞相(今で言うと総理大臣)。
市長VS総理大臣、勝てるわけありません!
ところが、そんな時“劉備”は野に隠れた超天才のうわさを耳にします。その天才の名は、“諸葛亮”。“劉備”は三回も彼を訪ね、軍師として迎えます。それ以降“劉備”はメキメキと領土を拡大します。
当時は“劉備”は今で言う“村長”くらいの立場だったのに、その一年後の“赤壁の戦い”に勝利し、今で言う“県知事”になり、さらにその一年後、三つの県を治めるほどになり、その三年後“総理大臣”クラスになります。そして、最終的には“皇帝”となるわけです。
ざっと概観してみましたが、これが三国志の、そして“蜀”のあらましです。
次回は“劉備”にまつわる成語を「靴屋さん劉備-“刘备卖草鞋”」と題してお送りしたいと思います。
コメント (1)
諸葛亮って、抜群に頭が良かったんですよね。確か、春秋戦国時代にも、劉邦に用いられた、韓信とかいう、頭のいい戦略家がいたと思うのですが、人材的には、どちらが優秀だったんでしょうか?機会があったら、二人の比較なども、お願いします。
投稿者: まお | 2008年03月26日 11:00
日時: 2008年03月26日 11:00