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第四回「超エリート集団-魏帝国」

今回は、三国の中で最も大きかった「超エリート集団-魏帝国」についてお話したいと思います。第二回でさらっとでてきましたが、「漢王朝」の混乱の中、最後まで残った三人の実力者の一人が「曹操」です。彼が「魏」の基礎を据えました。
この「魏」という国、三国の中でも軍事力、経済力、人材どれをとってもずば抜けていて、正直なところこの「魏帝国」が天下統一してもいいくらいの国だったのです。まさに「超エリート」の集まり、優秀な人材をそろえて、資金もたくさんある“超一流企業”だったわけです。
“初代社長”は「曹操」字(あざな:大人になるとつけるもう一つの名前)は孟徳、名門曹家の出で、若くから将来有望とされてきました。沛(はい)国譙(しょう)県(現在の安徽省亳州市)の出身です。“いいとこのボッチャン”“成績優秀”う~ん、けしからん!ま、それはともかくとして、そんな「曹操」はメキメキと実力を発揮し、黄巾の乱平定に活躍します。その後も各地で起こる勢力争いに勝利を収め、西暦208年、残る敵は、劉備、孫権のみとなりました。
当時、曹操は中国の7割ほどを支配下におさめ、劉備はいまだに“浪人生活”、孫権は“実戦経験のないおぼっちゃま”、ということで誰の目にも曹操の勝利は明らかでした。しかし!三国志のなかで最も有名な戦い「赤壁の戦い」で曹操軍20万は孫権・劉備連合軍3万にボロ負けします。これによって中国は事実上三つに分割され曹操の魏、孫権の呉、劉備の蜀、にそれぞれ分かれていくことになります。
どうして“浪人”と“おぼっちゃま”が「赤壁の戦い」に勝てたのか?については、のちほど連載の途中で詳しく解説したいと思います。
さて、曹操は皇帝にはなっていません。死後その息子「曹丕(そうひ)」が「後漢」帝国最後の皇帝の禅譲(皇帝の位を譲ってもらうこと:ぶっちゃけた話「命だけは助けてやるから皇帝の位をよこしな!」という脅迫)によって「魏帝国」の初代皇帝になります。
 「魏帝国」の首都は「洛陽」現在の河南省洛陽市です。以下の地図をご覧ください。「魏帝国」の統治範囲の広さがわかります。「呉」とあまり変わりがないようですが、「呉」の領地はまだ未開発地域も多く経済力ではまったくかないません。それぞれの力関係を数字で表すと10のうち、魏は5、呉は3.5、蜀は1.5、まあこんなところではないでしょうか?
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領地は、現在の省で言うと、西から順に(甘粛省、陝西省、湖北省の北半分、河南省、河北省、山西省、山東省、遼寧省)といった具合です。ひろ~いですね♪⌒ヽ(*゜O゜)ノ スゴイッ!!!
三国の一つ「魏」についてお分かりいただけたでしょうか?
次回は、「“说到曹操,曹操就到”-噂をすれば…」と題して、魏の基礎を据えた曹操にまつわる故事成語についてお話したいと思います。

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コメント (2)

旅人:

はじめまして
私は歴史が苦手でしたが、この三国志blogで初めて
苦手を克服できそうです。
これからも写真や、絵などをぜひ入れてください~
おねがいします~(^_-)-☆

mimi:

いつも楽しく読んでいます!
横山さんの漫画で、わたしもかなり三国志にはまりました~
これからの連載も楽しみにしていますね!

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2008年03月13日 00:38に投稿されたエントリーのページです。

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